私の看護師人生、第一章。

こんばんは。

さて初めてのブログ。何から書くべきなんだろう

まずは簡単な自己紹介かな。

1989年 平成元年生まれ 2025年現在35歳(36歳になる歳)

4年制の専門学校を卒業して看護師と一応保健師の国家資格を取ることができ、卒業後は地元の三次救急の病院へ就職。

それなりに大きな病院だったし、教育体制もしっかりしていた

看護師の基礎を築くにはすごくいい環境だったと思う。

急性期で同じ1日なんて1日たりともないような日々。

毎日が勉強で看護師としてまだまだと思いながら日々過ごしていたら丸8年。

職場の人には恵まれていたお陰でなんとか頑張っていました。

それに年1回は長期休みをもらえるので(最長8日程度)、毎年大好きな海外旅行のために1年を乗り越えていました。

ひとしきり新人教育もやって、委員会も毎年付いて昇任試験も勧められるTHE 中堅という立場。

新卒から5年、部署移動し3年。年々同期が減っていく中、30歳手前になった時にある意味、転機がやってきました。

徐々に感じていた医療現場で働く大変さ。私は特に理想を持って看護師になった人間ではないので、ある意味でそこまで絶望することもなく働いていたけど、三次救急の病院なのにレスパイトや、田舎のために急性期治療を脱してもその後の行き先が見つからずに社会的入院みたいになっている患者、生活保護で保護費の支給前や真夏や真冬など厳しい季節や状況になると決まって人目に付く所で倒れ救急車で入院してくる人。認知症。とにかく私たちの心身をすり減らす状況ばかり。

三次救急なのでもちろん命の危険と隣り合わせな人もいて。

ある夜勤の日、呼吸器の患者も見ている中で少し動ける認知症の患者が不穏に。

抑制をしても大暴れなので車椅子に移乗してもらいしょうがなく連れて歩いていました。

落ち着く様子は全くなく叫ぶは大きな音を出すわの大騒ぎ。

そんな中で呼吸器装着しているような命の危機と隣り合わせの患者の看護もしていて、とにかく疲弊。

やっっとの思いで乗り越えた夜勤明け、その対応の仕方について上司から注意を受けた。

本気で聞いた。じゃあどうしたらよかったんですか?

そこでプツンと来てしまった。これから高齢化は進みますます状況は悪化していくだろうけど、直属の上司ですらこの大変さ理解してくれないんだ。

目の前の患者のため、一緒に働く同僚のため、病院という自分が所属する組織のため

頑張ってきたつもりだったけど、一生懸命やってきたことってこんなものだったんだ。

だとしたらもう頑張れない。頑張りたくない。

私には無理。

本当に忘れられない、ここが私の看護師としての第一章のオワリだった。

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